南京大虐殺が記憶遺産に登録2015年10月14日 21時10分13秒

 この度、第二次世界大戦中の「南京大虐殺」がユネスコの記憶資産に登録されたという。

 これに対して、日本政府は「南京大虐殺」は史実に基づかないものであり、中国が犠牲者を30万人と記載しているが、その数字自体架空のものであり、記憶遺産から削除すべきだと主張している。

 犠牲者の数が30万人でなかったとしても、10万人か20万人か、ともかく大量の虐殺があったことは事実であり、当時の日本の雰囲気を知っている我々世代からすると、支那人(当時は中国の人々をこう呼んでいた)はチャンコロと言われて、日本人よりもはるかに低い人種と理解されていたので、これを殺戮することに大きな抵抗はなかったと思われる。

 この「南京大虐殺」を記憶資産に登録したことに対して、あろうことか、その対抗処置として、日本政府は「ユネスコへの拠出金を凍結すべき」との意見が出ているという。何を考えているのか全く理解できない。それほど第二次世界大戦を賛美したいのだろうか。その延長線上に「安保法案」があるように思う。


戦争のできる国2015年09月20日 08時48分27秒

 2015年9月19日を9.19として永遠に記憶していこう。この日日本は70年間続けてきた「戦争のできない国」から「戦争のできる国」に大きく180度転換した日である。多少とも前回の戦争を知っている世代としては「なんでこんな国ににしたんだ」という悲しい気持ちになっている。

 しかも、この戦争法案を可決するのに、定員の半数以上を占めている与党が、常軌を逸した強行採決で通さざるを得なかったごり押しが、いかに危険な法案であったかを示していると思う。

 それにしても、(何度もこのブログに書いてきたが)大変不思議なのは、これだけ世論は「戦争法案反対」であり、連日のデモも国会周辺で、その声が途切れることはなく、学者先生方も文化人も歴代の法制庁長官も元の最高裁の裁判官までもが、この法案は違憲であると断じているにもかかわらず、自民党の議員が全員賛成に回っていることである。

 さらに不思議なのは公明党の最大に選挙応援母体である創価学会の有志が戦争法案への反対署名簿を提出したにもかかわらず、公明党はこれを受け取らないという。

 与党に議員は「魂を悪魔に売り渡した」のだろうか


花岡事件の殉難者慰霊式2015年07月04日 09時37分36秒

 昨夜のニュース23を見ていて、大変感動すべき報道に出会ったので報告する。終戦直前の6月に当時中国から強制連行(拉致)されて、食べ物も十分に与えられず、重労働を強いられていた労働者が蜂起し、沢山の犠牲者を出して鎮圧された「花岡事件」についてである。

 以来70年がたった今日でも、事件のあった秋田県大館市では犠牲になったこれ等の人々を慰霊するための式典が行われていると言う。大館市の福原市長は「当時は戦争という異常な状態だったとはいえ、この様な非人道的な行為は許されるべきではなく、この事実を未来永劫風化させてはならない」と述べた。

 この式に中国から参列していた王敬欣さんは父をこの事件で亡くしたが、この父の受けた苦難を過去のものとせず、、大館市民は忘れずに慰霊してもらっていることに感謝すると述べている。と同時に、今まで日本人に抱いていた憎悪の感情が一気に氷解したと述べていた。

 素晴らしいお話だと思うし、過去の戦争で日本が加害者として犯してきた罪悪を忘れずに後世に引きついて行くことに大切さを痛感している。この間政府の方からは再三にわたって、行事を取りやめるようにとの勧告が来ているが、これをはねのけているようである。


ドイツと日本の違い(2)敗戦処理2015年03月23日 14時18分39秒

 先日ドイツのメルケル首相が来日されたときの講演の内容から、日本との違いについて述べられた中で、一つは原発の扱いが180度違う話は既に書いた。

 もう一つ大きな違いは同じ第二次世界大戦の敗戦国として、ドイツはホロコーストと言う600万人以上のユダヤ人を虐殺したナチスという政権の戦争責任が明らかだったこともあるが、戦勝国による裁判だけではなしに、ドイツ国民としてこの戦争責任について、徹底した審議を行い、その責任を明確にすると同時に周辺諸国に対しても、十分な賠償をしてきたと言われている。

 それに対して、我国では戦勝国による裁判で、A級戦犯の内7名が死刑を受けたが、我国としてこの戦争に対する責任を追及するようなことは一切なかっただけでなく、当時「開戦の詔書」に署名していた岸信介がA級戦犯として裁かれながら、のちに総理大臣になって政権を動かしてきたことは、我国にとって大きな汚点であったと言わざるを得ない。

 我が国として、戦争責任についてもあいまいな形でやり過ごし、近隣諸国への賠償についても、必ずしも満足されるようなものではなかったことが、今日殊に中国と韓国との関係が悪化している大きな原因である。その原因になっている岸信介の孫が現在の首相を務めていることに絶望感を覚えるの自分だけだろうか。


ドイツと日本の原発行政の違い2015年03月10日 21時22分34秒

 ドイツのメルケル首相が何年振りかで日本にやって来た。主たる用件は今年ドイツで行われるG7への根回しだと言うことであるが、彼女が行った講演の内容に少なからず刺激を受けた。

 その第一は4年前、東日本大震災に伴う福島第一原発の大事故を受けて、ドイツでは「原発を廃止し、自然エネルギーに切り替える」方針を固め、着々と進行し、2022年に全原発を止めると言う。

 一方、日本ではこの同じ福島の事故を受けて尚、原発をベース電源と位置づけ、逐次再稼働を進めると言う。

 どうしてこのような大きな政策の違いだ出てきたのだろうか。ここからは自分の推測ではあるが、ドイツでは福島の事故を受けて、科学技術の進んでいる日本ですら、この様な大きな事故が起こるのだから、到底原発の事故を完全に避ける手段はないと判断し、脱原発に踏み切ったが、日本では正論として脱原発を進めようとしても、政界、官界、業界、学界の長年の連携の中で、利権のしがらみの中で、「止める」と言う選択ができないのではなかろうか。

 同じ福島の原発事故を起点として、ほとんど地震の危険のないドイツで「脱原発」の方針で進み、地震と火山の密度世界一の日本で「再稼働」を決めていることに、日本人として「気恥ずかしさ」を覚えるのは自分だけだろうか。


日本人は忘却癖があるのか2015年03月08日 20時19分09秒

 第二次世界大戦中にナチスドイツが600万人を超えるユダヤ人を虐殺したと言う。アウシュビッツに代表される収容所で、何の罪もないユダヤ人が毒ガスで殺されたと伝えられているが、どのような理由で、ナチスドイツはユダヤ人を目の敵にして、殺して行ったのだろうか。

 調べたところでは(本当かどうかの確信はないが)、約2000年前に、元々はユダヤ教信者であったイエスキリストが、その問題点を指摘し新しい教えを布教したことから、ユダヤ教信者に恨まれ、裁判にかけられて、ゴルゴだの丘で、十字架にかけられたと言われている。

 このキリストの教えが現在のキリスト教の元になっているが、そのキリスト教徒が2000年前、ユダヤ人に磔にあったことの報復として、あれだけ大々的な虐殺が行われた根拠だと言う。(自分としてはとても信じられないが)

 2000年前の史実も明確でない事象に対して、キリスト教徒がユダヤ人に対して強い敵意を抱き続けていることに恐怖を感じるとともに、その執念に対して畏敬の念を抱かざるを得ない。

 それに引き換え、70年前に経験した悲惨な戦争体験を日本国民は忘れようとしているように思う。戦勝国の中国ですら、この悲惨な戦争を反省し後世に残そうとしているのに、日本政府は何を考えているのだろうか。


安倍首相の暴走を止めろ2015年02月25日 09時10分49秒

 安倍首相の暴走が止まらない。どうしても日本が戦争の出来る国にしたいようだ。集団的自衛権に名を借りて、海外派兵については、その範囲を拡大しようとしているし、軍備の増強を進めているし、我々戦前、戦中派からすると、「何故?」と思うことばかりである。

 今の野党にこれを止める力はない。しかし、与党の中で、殊に自民党議員の中で、「これは間違っている」と思っている人はかなりいるのではと推察するが、誰も声を上げないのは何故なのだろうか。アベノミクスが多少とも景気浮揚に貢献している現在、この経済政策に「異を唱えている」と間違われることを恐れて、声を上げないのだろうか。

 同じ自民党でも、引退された古賀さんや野中さんは「安倍政権は間違っている」と公言している所を見ても、自民党的な思想でも、この進め方は大変危険だと言う認識だと思う。

 第一次世界大戦が終わって、1927年に始まった世界的な大恐慌の中で、当時のドイツはワイマール憲法と言う民主的な憲法の中でさえ、ヒットラー率いる労働党はユダヤ人排斥と言う切り札で景気を回復しながら、あれだけの暴挙をやってのけるまでに、のし上がっていった経緯を見ると、今の安倍政権と重なるところが多々あるように思う。

 同じ与党とはいえ、公明党では弱小で大したことは期待できない。やはり、心ある自民党の有志が結束して立ち上がり、この戦争への流れを止めてもらいたいと願うのは、自分だけではないと思う。


政治家になって欲しい人2014年12月30日 16時48分12秒

 つい先だっての総選挙の時にも痛切に感じたが、投票したい人が立候補者にいないと言う悩みは一般にも波及しているように思う。

 翻って、今の政治家を見てみると、親の代からの選挙地盤を引き継いで、本人の能力とは全く関係なく当選するような人が、今や一番多いのではないだろうか。また、本人の主義主張が何なのか全く分からないまま、あっちの集まり、こっちの運動会にこまめに顔を出して、名前を売り込むような人、地位と名誉と金儲けのために立候補しているような人等々、とにかく政治家の資質に欠けるような人が出てきている現状を大変悲しく思う次第である。

 確かに世界的な評価としては、企業家や学者は一流だけれども、日本の政治は三流だと評されていることからも、ロクな人が政治をやっていないことは頷けるが、それにしても酷過ぎないだろうか。

 あちこちに政経塾的なものはあるようであるが、小手先の政策論争はあっても、「日本をどうするんだ」というような ヴィジョンを持った政治家が出てないように思う。その意味では、我々国民が自分たちの将来を託せるような政治家を育てて行かなければならないのではなかろうか。



朝日の従軍慰安婦報道について2014年12月24日 09時13分31秒

 朝日新聞が戦時中、韓国の従軍慰安婦の強制連行について、吉田清治証言を根拠に、その存在を掲載したところ、吉田証言が不確かだと言う理由で、バッシングを受けている。

 吉田氏の証言がどのようなものであったのかを詳しくは知らないが、彼なりに調べて、「強制連行」はあったと言う証言であり、その真偽はともかく、これが掲載されたことで、内外にその評価が定着してきたことは否めない。

 自分は戦争中はまだ小学生であり、国全体の動きまでは理解できなかったものの、当時の雰囲気から「強制連行」など当然あったと言う感覚である。日本人でも赤紙一枚で戦場に送られる世の中だったから、一段も二段もさげすまれていた当時の朝鮮人を連行することなど朝飯前だったと思う。

 それにも拘らず、朝日がバッシングを受けているのは、明らかに安倍政権の政策に反した方向だからであり、これを懲らしめるために政府が動いた結果であるように思う。戦争中に、この様な政府によるメディアへの統制がエスカレートしていった経緯からすると、大変危険な兆候だと言わざるを得ない。

 報道の自由はどんなことがあっても守られるべきである。


憲法9条がノーベル賞候補2014年10月05日 08時59分34秒

 第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力のよる威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄すうる。
②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


 改めて読んで見ると、素晴らしい理念であり、人類として理想的なあり方を提示しており、世界に誇るべき条項だと思う。この条項を今年度のノーベル平和賞に立候補した経緯は、自分もインターネットを通じて賛同を表明した立場としても、素晴らしい提案であり、是非受賞すればいいと願っていたが、ここにきて候補としてトップに立ったとの予想が伝わってきた。

 時あたかも、安倍政権はこの第九条を読み替えて、「集団的自衛権」が実施できると閣議決定し、軍事国家としての衣替えを画策している。この文章を読む限り、戦争を放棄し、軍隊を持たないと言っており、「個別的自衛権」そのものも、無理やりこじつけて実施できると解釈しているが、更にこれを同盟国にも軍備を使えるようにすると言う。

 この時期に、この憲法第九条にノーベル賞が授与されるとなると、この政府の動きに大きくブレーキを掛けることとなる。是非受賞したい。