AI将棋考2017年07月09日 08時34分28秒

 藤井君の連勝につられて、最近はAbemaTVを見る機会が増えた。その中で出てきていることとして、両者が一手指すごとにAIコンピュータのボナンザがどのような採点を出し、その時点でどちらがどの程度優勢かを判定してくれることである。

 この光景を見ていて思い出したのは、カラオケで歌った人の「正確さ」(?)をコンピュータが判定して競う競技である。機器によって組み込まれている判定基準は異なるだろうが、ともかく、いかにその基準に適合しているかを競うもので、本質的に歌の上手下手を競うものではない。

 面白いことにプロ歌手がトライすると、ほとんど点が取れないことが多く、ある歌手などは怒って逃げ出した人もいるぐらいである。要するに、音程を中心にいかに正確に歌えるかが勝負なのである。

 将棋の話に戻って、一手一手の指し手に対して、コンピュータが判定するとなると、採点式カラオケに似てきているように思う。と同時に将棋の世界も絶対に(?)コンピュータを超えることはできないとすると、競っているものが何なのか、分からなくなってくる。(もちろん勝負であることは間違いないが)

 カラオケ点数が多少低くても、プロの歌手としてやっていけるように、プロの棋士として生きる道があるのだろうか。


将棋における奥の深さ2017年06月26日 09時10分40秒

 つい先日、囲碁将棋の世界でプロの棋士たちの能力が、AIを使ったコンピューターにかなわない時代にはいいっていることを述べた。

 しかしこれを逆に考えると、現在の棋士たちの能力レベルがこれからも大いに伸びる可能性があることを示唆しており、勝負の世界にある種の革命が起こる予感がする。

 つまり、江戸時代から明治を通して培われてきた囲碁将棋の定石とか常識が、必ずしも最良ではなく、それらの常識を打ち破るような考え方の中に正解があるということになる。

 そこに、時あたかも藤井四段という新星が突如現れ、あれよあれよという間に歴代タイの28連勝をしかも無敗で重ねている。負けた28人の中には従来の常識ではかなりの打ち手もいたというが、かまわずに打ち砕いてきた。

 従来の常識ではプロのなり立てのしかも最年少の14歳が勝ち進むなどということは考えられないことだが、AI的な発想からすると、十分に可能性があると考えられる。

 従来の常識にとらわれず、新しい考えを持った棋士が新しい世界を築いていくと期待したい。


日本の政治を変えて欲しい2017年06月13日 17時12分40秒

 現在、国会では会期末を控え、「共謀罪」の審議で与野党の攻防が最終局面に入っている。安倍政権がこの法案を通して、政府の政策に反対しようとする人たちを、理由を付けて拘束しようとしているのだと思う。

 森友学園問題にしても、加計学園問題でも、官邸が関与していることは明らかなのに、安倍政権は知らぬ存ぜぬで、通そうとしていることを見ると、何とかして政権交代をしてほしいと思うのは自分だけだろうか。

 フランスで新しく当選したマクロン大統領は、議会に彼を支持する議員を持たないが、新しく作った政党に国民の支持が集まって、議会の過半数を取る勢いという。

 現状では、我が国で現政権から政権交代して欲しいと思っても、代わりに投票したい政党がないために、現在の安倍政権が国民の考えとは程遠いい政策を次々にやろうとしているのである。

 もし政権交代が実現する方法があるとしたら、今の自民党の中で、安倍首相の政策ややり方に賛同できない議員が集まって、自民党から離れ、新しい政党を作って、国民の望む政治を目指してくれれば、有権者はこぞって支持に回るのではないかと思うが。


 


囲碁・将棋の世界に異変2017年05月26日 09時20分56秒

 最近、囲碁と将棋の世界に大きな異変が起こっている。つまり、現役のトップクラスの棋士たちがコンピューターに勝てないのだ。

 将棋の佐藤名人がAIコンピュータponanzaに二連敗し、囲碁の世界トップである中国の棋士がAIコンピュータAlphaGoに完敗したと報じられた。

 過去の膨大な棋譜を記憶しているコンピュータが、最善手を繰り出してくるのに対して、人間の方は自分が勉強してきた経験と勘で打つ手筋にかなりの見劣りがするといういうことかと思う。

 しかしながら、このような事態になったからと言って碁や将棋の棋士が無為になったわけではないと思っている。つまり、現在の棋士たちは実力においてまだ十分ではないと言うことであり、言い換えると、まだ伸びしろがあるということであり、棋士同士が戦える余地があるという査証である。

 一方コンピュータの方で考えると、現役の棋士には勝っているとはいえ、着手には変動があり、その都度の計算結果に絶対的な意味があるわけはない。ということはコンピュータ自体も今なお進歩していて、最善手を探して模索していることになる。

 最終的にコンピュータは絶対的な勝ち筋を見つけた時、その競技は終わることになるだろうが、そのような事態は当分起こりそうにないと思う。


事業としての原発2017年02月28日 09時01分25秒

 原発事業に関する業界、政府、学会ではいまだに「推進」の方向で進んでいるが、福島の事故に対する収拾だけで20兆円を超す経費が掛かり、更には全国に散らばる50基の原発の最終処理にどれほどの費用が掛かるか、分からない状況の中で、原発による発電コストは明らかに膨れ上がっている。

 一方、製造するサイドで考えると、アメリカでもスリーマイル以降初めての原発4基の受注をした東芝が、その後に起きた福島の原発事故の教訓を踏まえて、建設基準が大幅にアップしたこともあり、7000億円を超える赤字が出るという。

 東芝の発表によると、この損失で会社そのものが債務超過に陥るとのことで、好調な半導体の事業を切り売りして、補てんするという。こうまでして原発の事業を続ける意味があるのだろうか。

 原発の事業は「発電」という観点からも、「製造」という観点からも、すでに破たんしており、続ける意味は全くないものと考える。


戦力外通告2017年01月14日 16時43分23秒

 例年のことではあるが、10月になると、プロ野球のドラフト会議なるものが開催されて、その年に活躍した高校生、大学生、社会人がセ、パの各6チームから指名を受けて、翌年度の入団交渉権を与えられることになる。昨年のドラフト会議で指名を受けた選手は合計89名であり、その他に育成選手という名目で何十人かの選手を抱えることになった。

 つまり、各球団はこれだけの選手を新しく抱えることとなったわけであるが、一方では「戦力外通告」という名目で何十人もの選手諸君が密かに球界を去って行っていることはあまり報道されない。このような選手は個々の家庭的な事情とは全く無関係に指名を受け、突然降ってわいた新しい人生に向かって方向転換を余儀なくされることになる。

 球界全体としてはこのような需要と供給のバランスの中で、運営されていることは素晴らしいことであり、ある種の実力主義の成果として成り立っているのだと思う。

 会社にこの「戦力外通告」の制度が導入されたら、会社の運営はうんとその効率を向上されると思われるのだが。


税金回避と富裕層の動き2016年06月13日 09時57分25秒

 いささか旧聞に属するが、パナマの事務所から漏れ出た情報で、世界中の企業や金持ちが、税金の安い国や都市に登録することにより、納税を回避していることが分かった。その額たるや21兆ドルというから、世界中の国家予算に匹敵するのではと思われる。

 この回避措置自体は合法だという。つまり、税制自体は各国なり州なりの境界線の中で決められているのに対し、経済活動は国境を越えてグローバルに展開するため、個人や企業は自由に活動拠点を選べるからである。そうでなくても、富裕層と貧困層の格差が拡大しているときに、ますますその格差を広げる結果となっている。

 元々、税金というのは富の再配分であり、富裕層から徴収した税金で貧困層の福祉を補っているところがあるのに、富裕層が納税を回避することでその機能が失われてしまう危険がある。それどころか、米国などの富裕層では自分たちの税金が貧困層に使われることを忌避する動きがあり、国としての(地方自治体としての)存立が危ぶまれる状況になってきている。

 何でそんなに金を貯めたいのか。

 


幸せはお金では買えない2016年04月08日 09時14分32秒

 「パナマ文書」というのが出回っていて、世界の富豪や有名人の多くが自国の税金を逃れるために、タックスヘーブン(課税避難地)に資産を移していると伝えられている。これはこれで、それぞれの国にとって税金が徴収できないという不都合が生じるだけでなく、徴税の不公平を生んでおり問題は大きい。

 それとは別に、世界一貧しい大統領だったというウルガイのホセ・ムヒカ氏が日本を訪れて、各地で公演会が催されている。彼の演説で有名なのは、2012年6月ブラジルはリオデジャネイロで開けれた国際会議で述べた
不幸とは少ししかもっていないことではなく、限りなく多くのものを欲しがり、いつまでも満足しないことだ。」という言葉です。

 このムヒカ氏の演説を聞くと、「パナマ文書」伝えられる大富豪たちが、さらなる蓄財に走っている姿が道化に見えてくるのは自分だけだろうか。

 今回の訪日でムヒカ氏がある学校での講演の一部をテレビで見たが、集まった日本の学生たちに対して、「あなたたちは便利な文明を手に入れ、高度な科学や技術を手に入れた。それであなたたちは幸せですか」と問いかけていた。この質問に対して、学生たちはどう答えるのだろうか。


南京大虐殺が記憶遺産に登録2015年10月14日 21時10分13秒

 この度、第二次世界大戦中の「南京大虐殺」がユネスコの記憶資産に登録されたという。

 これに対して、日本政府は「南京大虐殺」は史実に基づかないものであり、中国が犠牲者を30万人と記載しているが、その数字自体架空のものであり、記憶遺産から削除すべきだと主張している。

 犠牲者の数が30万人でなかったとしても、10万人か20万人か、ともかく大量の虐殺があったことは事実であり、当時の日本の雰囲気を知っている我々世代からすると、支那人(当時は中国の人々をこう呼んでいた)はチャンコロと言われて、日本人よりもはるかに低い人種と理解されていたので、これを殺戮することに大きな抵抗はなかったと思われる。

 この「南京大虐殺」を記憶資産に登録したことに対して、あろうことか、その対抗処置として、日本政府は「ユネスコへの拠出金を凍結すべき」との意見が出ているという。何を考えているのか全く理解できない。それほど第二次世界大戦を賛美したいのだろうか。その延長線上に「安保法案」があるように思う。


今どきの学校て何なのだ!!!2015年08月28日 15時54分28秒

 今朝の朝日新聞によると、あるNPO法人の責任者が「学校に行くのが辛いようだったら、休んでいいよ。」と書いている。また、奈良の図書館の書士が「学校に行くのが辛い子は図書館に来なさい。」と呼びかけている。

 夏休みが終わって、新学期が始まるこの時期に、学校に行きたくない児童が増えるのに対しての呼びかけである。又、昨夜のテレビでフリースクールの紹介と共に、そこに通って、生き生きと生活している子供たちを映し出していた。

 こうしてみてくると、今どきの学校と言うのはどのような意義があって、運営されているのであろうか。先生方は忙しくて(?)子供たちの面倒をよく見ないし、子供たちは弱いものを見つけては「いじめ」に走り、親も生活に忙しくて、なかなか子供の面倒が見られない。学校という名の慣例組織の中に子供たちを押し込めて、四方を丸く収めようとしているだけではなかろうか。

 明治時代に始まった我が国の教育制度は「富国強兵」をモットーにして、
一つの体系を作り上げてきた。あれから100年以上が経ち、世の中もその有りようもすっかり変わってきているのに、制度だけは依然として生き残っていることの矛盾が、その根底にあるように思う。

 新しい時代にマッチした新しい教育制度が必要なのではなかろうか。