私と英語(2)2006年04月04日 10時51分57秒

 中学ではそのような事情で殆ど学校で習うことはなかったし、皆のレベルに合わせた授業だったから、3年かかって教科書の一冊半しか進まなかった。つまりカリキュラムの半分しか行かなかったことになる。それでも高校に上がって、それほど遅れているという印象ではなかった。  日曜学校はその後村の教会に発展し、毎週の日曜のミサには出席していた。出席していたと言っても、英語の聖書を持ち込んで、牧師さんが説教される部分を、辞書片手に必死で訳していただけであるが。(それでよく叱られた)  高校に入って、1年のときから受験勉強を始めることにしたが、得意な数学や理科に比べて、受験英語の力がかなり不足していることに愕然とした。そこで、家での勉強の7~8割は英語の集中した。文法や問題集をこなすだけでなく、単行本で「二都物語」や「宝島」(これは最後まで読めなかったが)などの小説も読んだ。それでも最後まで英語の試験が一番自信がもてなかった。  大学では教養課程の2年間、英語を習う羽目になったが、文学書をのべつ幕なしに訳すだけの授業で、今から考えると随分難しい文章だったと思う。殊に、サッカレーの「虚栄の市」(Vanity Fair)などは殆どの単語を辞書で引いたように記憶している。兎も角単位をとらないと卒業できないので、必死で勉強した。

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