サラリーマンは嫌い!2011年07月26日 13時28分28秒

 あまりよく調べたわけではないが、今回の被災地では殊に漁業ではほとんどの漁船を失い、漁具もすべてを失ってしまった漁師さん方の救済のために、復興特区と言う形の中で、漁業について企業の参入を認め、この企業の出資で必要な漁船や漁具を調達し、漁師の方々にはその企業で働いていただくという構想が検討されているという。

 このような動きを伝えるテレビ放送の中で、地元漁民の一人にインタビューして、このような動きに対する意見を求めたのに対し、「私は反対です。」とはっきり表明していた。理由は「いくら苦労しても、自分で工夫し、自分の知恵で魚を取る方が、はるかに面白いし、生きがいを感じる。」と言うことであった。

 私は当初、このような状況において、サラリーマンになることで、安定した仕事と給料が確保できるのだから、むしろもろ手を挙げて賛成かと予測したが、漁師の人たちの考えは逆であった。確かに漁業と言うのは、海の自然との闘いだから、自分のスキルなり、過去の経験なり、或いは経験からくる勘なり、あらゆる力を総動員して大漁につなげる喜びが、何物にも代えがたい喜びなのだということを再認識した次第である。

 一方振り返ってみて、工業や商業に携わる大部分の人たちは企業に雇われたサラリーマンであり、決められた仕事をこなし、然るべきサラリーをいただいて生活しているが、上の漁師さんが感じているような人生の喜びが感じられているのだろうかと、ふと感じた次第である。そんな環境でほんとに個人がクリエイティブな仕事ができるのだろうか。

 巷間、今の大会社から新しい発明は生まれないと言われていることと符合するものがあるように感じる。


コメント

_ 薫 ― 2011年07月26日 21時43分00秒

こんばんは。

きっと、漁師さんは職人で博打師なのかな?

長年の勘と経験をいかし、頭で考えたことなど受け入れることが出来ないんでしょう。

私は前職で彼ら達とお付き合いありましたが、、俺達の海と言う意識が強くて、この頭堅い、何人も受け入れない思考は何故なんだと思いましたよ。

海洋権といえばいいのか(?)、、ま、ある意味とても守られた社会にいるからでしょうかねぇ。。

訴訟を起こした事例もありますが殆ど負けます(詳細は書けませんが)

_ 薫 ― 2011年07月26日 21時52分39秒

追伸:海洋権じゃなくて、漁業権です。

ごめんなさい。

_ KAJI ― 2011年07月27日 12時45分25秒

 薫さんは漁師さんたちとの関わり合いがあったのですね。

 薫さんは漁師さんたちの頑固で自意識過剰な面をコメントしていただきましたが、私は「野次馬的」な見方で、むしろ都会で会社に飼いならされたサラリーマンが、自分の人生に対して意地も誇りもなくして、「受身的」な生活を送っていることに絶望感を抱いた点を視点に書きました。

 昔は、まだ終身雇用でしたから、多少は好き勝手なことが出来ましたが、今はすぐにリストラされるような環境の中でどう保身していくのかが最大の課題で、自分の意志で何かをやるというような状況にないのが悲しいですね。

_ 甚六 ― 2011年07月29日 12時55分47秒

農業も同じですが、一次産業の方々は、その環境と一体の生命活動にこそ意味が有るわけでしょう。
ただ単に収入を得るという経済行為を生活の基本としているのではなく、周辺の生命系サイクルの一環を担うべく人間としての在り方を具現しているものと解釈すべきでしょう。
地球上に生きる上で、最も理にかなった存在・・此処には他の産業とは比肩のできない深い生き甲斐が秘められているものと推量されませんか?。
従って、ある種の排他性は相応の生存権を維持する上での必要悪?として欠かせないものと思いますがね。
特に自然農に徹して人生の大半の精をその地に注いできた方が放射能汚染で一瞬の間に安住の地から脱出を余儀なくされた事例をどの様に思い遣れるか、それが今後の日本の明暗を推し量る目安になるものと認識している次第です。
彼らは決して経済的な豊かさを眼目に生きているのではありません。
都合によって廃業や転職を合理化する経営者に雇われて金銭を得て生活できれば済む問題では無いのです。

_ KAJI ― 2011年07月29日 22時21分24秒

 甚六さん、私が提起しましたテーマに対してどのような視点でお書き頂いたのかよく分かりませんが、第一次産業従事者の生き方について甚六さんが書かれていますことはやや視点は違いますが大賛成です。

 私はサラリーマン上がりですので、その視点で書きましたが、そのような農業や漁業に従事する方々の人間としてより本質的な、或いは個性的な生き方に対して、サラリーマンの生き方は一般的にはかなり受動的なものであり、生活するための収入に力点が移っており、悲しい存在であると思っています。

 従事している人数からしますと、莫大な数の人がサラリーマンとして働いており、その人たちの大部分が使命感も希薄で、個性を殺して働き盛りを過ごしていることに危機感を感じている次第です。

_ 甚六 ― 2011年07月30日 19時22分46秒

愚生のコメ、脈絡が怪しくて恐縮です。
本オーナーさんの趣旨には殊更に配慮する余裕もなく、この度の一連の災厄に際しての一番の被害者は一次産業の方々だと言う思いに駆られての所感です。
又々脱線して恐縮ですが、原発事案に関して言い過ぎかもしれませんが、被災地以外の方々(所謂、都会に住むはサラリーマン等々)は多少なりとも加害者としての自覚を持ちあわせて居られるものでしょうか?。

_ KAJI ― 2011年07月31日 08時44分21秒

 甚六さんの視点も大事なことと思います。

 甚六さんや木村さんのように自然農法を追及されて、何が本当の農業なのか、どう進むべきかを真摯に追及し、人生を掛けておられることは素晴らしいことだし、ある意味うらやましいことと感じています。

 ですが、大部分の農家は農薬を使い、除草剤を使い、収穫だけを目的に励んでおられることがあることも事実だと思います。殊に多数を占める兼業農家では主要な収入をサラリーに頼り、片手間(?)にやられている農業に個別保証をするような愚を理解できる立場にはありません。

 原発の可否につきましては、従来必ずしも反対を表明していませんでしたが、今ではその間違いにつきましては、このブログの中で何回か説明し、厳しく反省しています。殊に、この所広がり始めた放射能被害を考えると、本当jに忸怩たる思いです。

 甚六さんが問いかけて頂いています<都会に住む人間が加害者としての自覚があるのですか>につきましては、正直言いまして、自覚はありません。私は今たまたま横浜に住んでいますが、サラリーマンとして自分の住むところを一義的に決められるわけではないということと、(福島に住んでいて、今頃避難生活をしているかも)原発をどこに作るかについて関わった覚えがないからです。たまたま生まれた国が共産主義の国なら、そこで精一杯生きていかなければなりません。

 私はかなり運命論者で、大地震や大津波が襲って来れば、それを受け入れ、その中で生きていく道を模索しなければなりませんし、放射能とお付き合いしなければならないのでしたら、その運命も甘んじて受け入れ、その運命の中で自分がいかに生きていくかだと思っています。

_ 朗子 ― 2011年08月02日 20時50分55秒

漁業や農業の他に、スポーツマン、芸術家などの自由業も有りますね。若い頃の私は、絵描きを志していました。
伯父にも芸術家が二人いて其々に成功の部類に入る仕事をしていました。「女が芸術家で生きるのは止める様」2りながらに忠告してくれました。結婚してからも、展覧会を開いたり教室を持ったりして、続けていけば、それなりに食べて来れたかもしれません。でもサラリーマンの夫に食べさせて貰うのは楽でした。何時の間にか自由業の方は、止めてしまいました。命を賭ける、漁業などに比べれば
安易な仕事さえ続けられなかった私には、何を言うしかくも無かった…と思います。サラリーマンの女房として終わりに近付いた今、被災した後も漁業を続けようと思う人に
心から賛辞を贈ります!

_ KAJI ― 2011年08月03日 09時08分56秒

 朗子さん、大変重い課題を提示していただきました。芸術家と言う職業(?)は必ずしも「食べていける」と言うカテゴリーとは相いれない部分と言いますか、ある意味無関係であるように思っています。

 つまり、作品が(絵でも小説でも音楽でも)生まれる動機になっていますものと、それらが世の中に認められて、売れるようになるということは次元の違うことかと思っています。無償の価値を追い求めておられる芸術家の方々は農業漁業に携わる人たちよりもはるかに崇高な、純粋な行動であろうと思っています。

 その意味では、ご主人に生活の基盤を稼いでいただいて、芸術に邁進されてきた朗子さんは理想的な人生だったのではと推察する次第です。どうかご自分の人生を肯定的に捉えて頂いて、余生を送っていただければと祈念する次第です。

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