ストレステスト2011年07月08日 16時22分35秒

 佐賀県の玄海原発2,3号機の再稼働に関連して、海江田大臣がわざわざ現地に出向き、佐賀県の知事と玄海町の町長にたいして、「原発の安全については十分確認がとれており、国が保証するから再稼働についての許可を出すように」と要請した。町長はこれを受けて九州電力に容認の返事をしたという。

 佐賀県側は「原発が安全な状況にあるかどうかよりも、政府が保証するという点を重く見て、再稼働容認の方向に動いて行ったように感じた。しかし、福島第一原発の事故が収拾していない現状で、政府はその安全性について、どのように保障しようというのだろうか、大変疑問の残る裁定だったように感じていた。

 所が、国会答弁で菅首相は「休止中の原発の再稼働の条件として、ストレステストをやって、合格することが条件だ」と回答して、大騒ぎになっている。つまり、経産省が決めたことを否定する形で、首相が新しい条件を提示して来たために、海江田さんの立場が全くなくなってしまったことで、辞任を表明するに至っている。

 確かに、閣内不一致が露呈し、経産大臣の立場がなくなっているが、しかし、論理的には菅首相のいうことの方がはるかにまともであるように思う。福島原発で未曽有の災害が発生して、収束もままならない状況の中で、安全の指針を示して、何年後に整備できる予定だから安全だと、誰が保証できるのだろうか。ストレステストの中身が分からないが、首相が言うように「国民に納得してもらえる保証」が得られるまで再稼働を延期するのは当然の処置と思う。

 これからは推測になるが、経産省の官僚は休止中の原発が地域住民の反対にあって、稼働できないと、我国の電療事情を大幅に悪化させると判断して、首相には相談せずに、「安全を振りかざす」ことで、経産大臣に容認の圧力をかけさせたのではないだろうか。

 一方首相サイドは、例によって「思いつき(?)」でストレステストを持ち出すことで、これに対抗しようとしたのではなだろうか。こうなると裸の王様は失うものがないので強く出ていけるのではないだろうか。逆に国の首相らしい判断だと思うがどうだろうか。

 経産省の官僚は今度はストレステストの中身に関与して、骨抜きにするのではなかろうか。

円はなぜ高くなるの?2011年07月13日 09時51分15秒

 またまた、急激な円高である。ヨーロッパでギリシャを始め、イタリアやスペインなど財政的に不安な国々の国債が売られて、共通通貨であるユーロが値下がりするというのは理解できる。

 アメリカも景気動向が思わしくないということで、円高になっていると説明されている。しかし、現在の日本は財政的にはヨーロッパの国々に対しても極端に悪いGDP比200%の1,000兆円の負債を抱え、古今未曾有の災害が東日本を襲い、原発事故を含めてまだまだ復興の目立が立っていない状況であり、おまけに政局は混乱し、予算の執行すらままならない状況にある中で、どうして日本の「円」が買われるのだろうか。全く理解できない。

 アメリカの金融資本主義の陰謀ではなかろうかと、勘繰りたくなっている。このような状況が続けば、日本国内で事業をやろうとする人はいなくなるのではないだろうか。


なでしこジャパン優勝おめでとう2011年07月19日 08時15分29秒

 ドイツで行われていた女子のワールドカップサッカーで我「なでしこジャパン」が難敵米国を破って優勝を果たした。心からおめでとうを言いたい。圧倒的に優勢な米国チームに先制されても、苦しい中でこれをはねかえしていく粘り強い戦いで、PK戦に持ち込んだ時には精神的にも完全に米国を圧倒していたように思う。

 当日は3時にこっそり起きだし、テレビの前での応援と言うことになった。過去には21敗3分けと言う米国に対し勝ち目はないとも思ったが、一人でも沢山の人が気持ちを送ることで、何とか勝ってもらいたいと願っていた。

 開始早々、力の強い米国の選手に対して、何度も攻め込まれて、この調子だと5点ぐらいは取られるのではないかと心配したが、必死の防戦と、幸運にも恵まれて、何とか食いついて行って前半0:0で通過した。後半、耐えていた防御陣を突破されて1点を取られた時にはそれまでかと諦めかけた時に敵陣前でのクリアミスがあって、同点にしたときにはツキが続いていると感じた。

 延長戦に入り、お互いの選手が疲れる中で前半完璧な形で失点したときには再び「これまでか」と思ったが、終了間近に同点に追いついた時にはこれは完全に神様が味方に付いていると感じた。と同時に、上にも書いたが、PK戦は勝てると、この試合で始めて勝利を確信した。

 大部分の選手は働きながら、厳しい生活の中で練習を重ねてきているという。サッカーの勝負と言うのは単に技量の差だけでは測れない、もっともっと精神力の世界が関係していることを強く感じた次第である。


サラリーマンは嫌い!2011年07月26日 13時28分28秒

 あまりよく調べたわけではないが、今回の被災地では殊に漁業ではほとんどの漁船を失い、漁具もすべてを失ってしまった漁師さん方の救済のために、復興特区と言う形の中で、漁業について企業の参入を認め、この企業の出資で必要な漁船や漁具を調達し、漁師の方々にはその企業で働いていただくという構想が検討されているという。

 このような動きを伝えるテレビ放送の中で、地元漁民の一人にインタビューして、このような動きに対する意見を求めたのに対し、「私は反対です。」とはっきり表明していた。理由は「いくら苦労しても、自分で工夫し、自分の知恵で魚を取る方が、はるかに面白いし、生きがいを感じる。」と言うことであった。

 私は当初、このような状況において、サラリーマンになることで、安定した仕事と給料が確保できるのだから、むしろもろ手を挙げて賛成かと予測したが、漁師の人たちの考えは逆であった。確かに漁業と言うのは、海の自然との闘いだから、自分のスキルなり、過去の経験なり、或いは経験からくる勘なり、あらゆる力を総動員して大漁につなげる喜びが、何物にも代えがたい喜びなのだということを再認識した次第である。

 一方振り返ってみて、工業や商業に携わる大部分の人たちは企業に雇われたサラリーマンであり、決められた仕事をこなし、然るべきサラリーをいただいて生活しているが、上の漁師さんが感じているような人生の喜びが感じられているのだろうかと、ふと感じた次第である。そんな環境でほんとに個人がクリエイティブな仕事ができるのだろうか。

 巷間、今の大会社から新しい発明は生まれないと言われていることと符合するものがあるように感じる。