歯を抜きました ― 2005年10月05日 21時41分57秒
今日歯を一本抜いた。この歯は昨年歯医者から弱ってきているので、早く抜くようにと勧められていたが、何となく未練があって、一日延ばしに延ばしてきた。しかし、この所その歯が時々痛むようになってきて、負担になってきたので、思い切って抜くことにした。一寸血は出たでけど、抜いた後の痛みもなく、一件落着となった。
この歯医者とは永年の付き合いではあるが、私が彼の思う通りに治療をさせないものだから、嫌われてきている。つまり、彼は次々と問題点を指摘して、片っ端から治療したがったのですが、私が必要最小限の処置しか許さなかったので、この医院ではブラックリストに載ることになったわけである。
従って今日も歯を抜いたら後の経過を見たかったと思うし、歯石の処置もあるし、更には抜いた歯の後に入れ歯も作りたかったようであるが、全て断って帰ってきた。これで歯の抜けた箇所が二箇所になったが、特に生活上は支障はない。老い先短いこの身体で歯の一本や二本欠けても何の問題もない。
小泉さんの靖国参拝 ― 2005年10月18日 16時02分55秒
小泉さんが性懲りもなく靖国に参拝した。昨年までとは違って、かなり省略した参拝ではあったが、参拝は参拝である。
小泉さんが言っている「戦争で犠牲になった方々へのお参りである」というのは私も納得できる。しかし戦争を中心になって推進した所謂「A級戦犯」と呼ばれる人たちも祀られているとしたら、これは素直には受け取れない気持ちである。つまり、その人たちは敗戦国の責任者として、裁かれたかもしれないが、それ以前に我々日本人にとっても、沢山の人たちが理不尽な統制のもとに置かれ、犠牲になってきたのある。この犯罪を小泉さんはどう認識しているのだろうか。彼と私の歳の差は約10歳で、私は当時の悲惨な国民生活が子供心に焼き付いているのに、彼は直接知らないということだろうか。
それにしてもこれだけ中国や韓国で「首相の靖国参拝」が政治問題化しているのに、あえて参拝すると言う暴挙もここまでくると、滑稽ですらある。それとも、小泉さんは「中国や韓国がガアガア言っても大したことにはならない」と読んでいるのだろうか。
私は靖国神社とは別に宗教的に中立な施設を作って、そこには戦争で犠牲になった人だけではなしに、空襲で亡くなった人や、虐待を受けて亡くなった方を含めて、すべての犠牲者をお祭りするのがいいのではと思っている。
教育について ― 2005年10月31日 16時50分36秒
私が大学を卒業して企業に就職したのは昭和32年だったが、当時新人として職場に入ると、上司から実務面でかなり徹底した教育を受けたように思う。一例を挙げると、会議開催の案内状を書くのでも、何度も何度も訂正させられて、必要十分な情報がキチット書けていて、受け取った人が間違いなくその意味を受け取っていただけるように仕上がるまで、延々と「叱られ」ながら仕上げたものでした。(今の人にこのようなことをしたら、イジメと受け取られるのかもしれませんが)
その後、自分自身が管理する立場になって、かなり意図して部下への教育には力を入れてきたつもりである。しかし自分が受けてきた教育と比較すると、かなり甘くなってきていたことは事実で、かなり遠慮が出ていたように思う。
しかし、この傾向(次第に教育に厳しさがなくなっていく)は自分の後輩の中にも間違いなく受け継がれていて、何代か過ぎていくうちに、私が退職する頃には上司は部下のことを殆ど教育しない、と言うか無干渉の状況になってしまっていた。
その結果として、簡単な文書一つ書けない会社員がごろごろいることになり、誰もそれを咎める環境にもないことを悲しい思いで見ていました。この現象は上司だけに問題があるのではなく、若い人たちにも「少しきついことを言われる」と直にキレてふて腐ったり、会社を辞めたりするから、どうしても遠慮しながら対処せざるを得ない立場に追い込まれている。
しかし、問題はこのような甘えた教育環境が企業の中だけに留まらず、より深刻なのは家庭の中で、又学校の中で、起こってきており、子ども達の人間形成に重大な支障が生じていることである。
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