日本のコロナ肺炎の不思議 ― 2020年05月16日 21時26分17秒
このブログでも我が国におけるコロナ肺炎に対する検査体制が脆弱で、韓国や欧米の各国に対してもPCR検査数が極端に少ないために、市中で蔓延している陽性者が感染を広げることから、感染者が爆発的に増加していると考えられる。

陽性者が爆発的に増加すると言っても、検査数以上には表面化するわけではないので、感染者はいつまでたっても減らないはずであるが、現実には減少してきている。これが検査数の少なさの結果なのかは分からないが、我が国の感染者が少なくとも欧米に比べて少ない状況で推移していることは事実である。
アジアの人たちが民族的にこの疾病に掛かり難いのか、幼児の時に接種してきたBCGがある種の免疫を構成しているのか、色々詮索されているが、答えが出ているわけではない。
しかし、もし日本人がこの感染症に多少とも強いとしたら、これは誠にミステリーというべき幸運だと思う。
戦中生まれと戦後生まれ ― 2018年01月25日 15時23分55秒
厳密にいうと、終戦前に学校行っていたかどうかで大きく認識が変わるというお話。

昨日老人会で「童謡唱歌を歌う会」があり、みんなで楽しく歌いました。その中で「雲にそびゆる高千穂の 高根降ろしに草も木も・・・・」という紀元節の歌がかかった時に、自分を含めて戦中派は苦も無く歌えるのに、戦後派は「そんな歌聞いたことない」という反応でした。
そしたら今日の朝日新聞の「折々のことば」に
戦争を知っている世代が政治の中枢にいるうちは心配ない。平和について議論する必要もない。だが、戦争を知らない世代が政治の中枢となった時はとても危ない。(田中角栄)
というのがあった。
頭でわかっていても、実際の経験がないとほんとには分かっていることにはならない。
我が国の政党という集団 ― 2018年01月23日 14時03分52秒
せんだっての総選挙を控えて、民進党の大分裂が起きて3つの党になったいるが、このところ再度統一の政策集団を作ろうという動きがあって、相談が進んでいるようであるが、立憲民主党の枝野さんは政策の合わないグループとは一緒になれないと苦言を呈している。

翻って、わが国で政党とはどのように定義されているのであろうか。例えばアメリカでは共和党と民主党の二つしかない。ドイツ、フランス、イタリアなどはもう少し細かく分かれているようであるが、日本ほどではないと思われる。
厳密にいえば個人の思想や考えは個々人で違っているのが当たり前である。従って、どこまでの考えをまとめて、政党としてグループ化するかで、いかようにでも分かれてしまうように思う。
アメリカでは経営者側の代表として共和党があり、労働者側の代表として民主党があると聞いている。こんな大きな括りで政治が進められるが、個々の法案に対しては政党としてではなく、個人として賛否を表明するので、政党員の数だけで法案が審議される。
日本では「党議拘束」という不思議な制度があって、政党のトップがこうだと決めたら、個人の意見はどうであれ従わなければならないのである。これは人権無視も甚だしい。上述したように個々人はそれぞれの考えを持っており、自発的にこれを表明できなければ、民主主義とは言えないのではなかろうか。
我が国でもアメリカでのように、基本的な政策で合意できれば、政党員として認めておき、個々の政策に対する賛否の表明では、党議拘束をやめて個々人の考えで表明するようにできないものだろうか。
この道はいつか来た道 ― 2017年05月22日 11時22分30秒
殊に安倍政権になってから、戦前への回帰が目立ち始めている。憲法9条で戦争を放棄したはずなのに、防衛だけではなしに攻撃もできる軍隊を作ろうということや、共謀罪と称して政府に反対するような勢力を未然に排除しよとしたり、天皇に主権を戻そうとしたり、戦前・戦中に我々国民が散々ひどい目にあい、金輪際このような制度には戻さないと決心して作った憲法なのに、これを変えようとしているのは許しがたい暴挙だと思う。

殊に昨日衆議院を通過した共謀罪法案は、戦時中に少しでも政府の方針に反するような言動をしたり、書物を読んだりして、近隣の住民から告げ口があると、直ちに「特高」といわれる警察官がやってきて、しょっ引いていかれてしまうような経験をしてきた我々にとっては、言論の自由が大きく毀損してしまう内容を含んでいると思う。
もう直ぐこの世とオサラバする我々年寄りは直接の関係はないが、これから日本の国を作っていく若者たちが、伸び伸びと自由に生活できるような世の中であって欲しいと願うものにとっては、大変危険な兆候が垣間見えて、大変不気味である。
この道はいつか来た道
森友学園問題の隠れた怖さ ― 2017年03月30日 08時38分51秒
大阪豊中市の森友学園問題はその土地取得の不自然さを中心に安倍首相からの寄付があったかどうか等、国会の予算委員会で水掛け論が続いている。

本件首相のような偉い政治家が絡むと、役所というのは一斉にその流れに靡いて動くものだということを認識させられたし、その意味で「忖度」の働く世界だと改めて認識した次第である。
しかしここでは、それら本筋とは離れて、安倍首相と夫人、籠池ファミリー、更には稲田防衛大臣といった人たちが目指している「我が国の在り方」に対して大変違和感を覚えるものである。
籠池氏が運営する幼稚園では「教育勅語」が暗唱され、戦前の天皇を中心とする憲法への回帰を目指しているようであり、しかもその考えに安倍首相や夫人までもが「大変素晴らしいやり方だ」と賛同しているという。
このような考え方は、我々戦前の悲惨な国民生活を見聞きしてきている世代には大変な危機感を覚えるものである。
年初一斉入社の弊害 ― 2017年02月20日 14時15分11秒
今般、文部科学省で禁じられている「天下り」が、秘かに行われていたことが露見し、国会で論議されている。この種「天下り」は単に文科省に限らず、ほかの省庁でも行われており、ある種必要悪だといわれている。

この種の「天下り」は官公庁に限らず、民会の大会社でも行われており、一斉に入社した社員が年を振るとともに、力を付け、地位が上がって行く中で、し烈な出世競争があり、上に行くほど少なくなっていく地位の争奪戦が展開されることになる。
勝ったものはしかるべき地位につけるが、負けたものは低位の地位に甘んじるか、「天下り」で関連の会社に移動することになる。
そのような整理をしないと、一斉に入ってきた社員を処遇できないことになるのである。
官公庁の場合にはかなり違った状況が見られるのは、「天下り」する人が何の専門性も実力もないにもかかわらず、高給のポストを準備されて、移っていく矛盾が露呈してることである。
これらを総合すると、官公庁も民間の会社も4月に一斉に新卒の学生を採用する習慣、さらに言うと、その上終身雇用で定年まで雇用を守る制度が、この種「天下り」の悪弊を招いているのではないだろうか。
欧米で行われているように、必要な時に必要な人材を募集して調達するシステムになれば、この種の弊害は一気に解消するものと思考する。
北方四島の帰属 ― 2016年12月18日 19時10分08秒
慌ただしくロシアのプーチン大統領が来日して、安倍首相郷里の山口で首脳会談があった。安倍首相としてはかねてからの構想通り4島の帰属を決めて日ソ平和条約に結び付けたい意向であったが、ロシア側のガードが固く、経済協力のような癖球に翻弄されて、4島の帰属を話し合う以前で停滞してしまった。

この交渉を通じて、その成り行きを見ると、「北方4島は未来永劫帰ってこない」のではないかと思わざるを得ない。その理由の第一はロシアは第二次世界大戦の戦勝国として、この4島を日本から取り上げたものであり、(沖縄等のように)単に占領したものを後から返すといった代物ではないと認識されている点である。第二に戦後70年を超え、これら北方4島で生まれ育った人々も70歳を超えているということになる。つまり、大部分の島民はこの地で生まれ育ってきていて、昔日本の領土だったというような意識は全くないのではと思う。
こんな状況の中で、もし日ソで合意して4島が(その一部でも)日本に返ってくるということになると、嘗て戦後この島々から追い出され他日本人の二の舞になってしまうのではないだろうか。そんな非人道的なことはできないと思うし、それが日本の役に立つとは思えない。
排他的海域に関連して、漁業権の問題があるとしたら、それはそれ単独でロシアと交渉すればいいことであり、それこそ経済協力の一環として進めればいいのではと思案する。日本はこれら4島の帰属問題を離れて、新しい将来像を描くべきと思う。
日本における報道の自由 ― 2016年04月26日 08時10分07秒
国際NGOによる各国の報道の自由度について発表し、日本は世界中の180ヶ国の中で72番であり、2010年の11位から年々大幅に後退してきている。

国際的にも、この日本の後退を憂慮する声が強く、中でもアメリカのケイ教授が「我が国の報道の在り方」について調査し、その問題点を指摘している。
問題点はいくつもあるが、大きな流れとして「政府による報道への圧力」が増してきていることが根幹にある。先の選挙前に自民党から各メディアに「公平な報道についても要望」が出されたり、高市総務相の発言で「公平な報道をしないメディアには停波も辞さない」といった政府側からの圧力が直接的にメディアを締め付けており、また政府の意向を忖度して報道を控えるような状況が出来てきている。
第二次世界戦争の中であった「大本営発表」のような政府による統制が報道の自由を損ない、国民の知る権利を奪っていったあの苦い経験を思い出させるような昨今の状況は、我々国民からして大変憂慮すべきことだと思う。
それにしてもメディアが弱すぎるのはいかなることなのだろう。「ペンは剣よりも強い」といったかつての意気込みはどこに行ったのだろうか。メディアのトップが頻繁に政府高官と会食をして、親密にしているなどはペンの力を弱める大きな要因になっているように思う。
政府のメディア統制 ― 2016年03月01日 09時24分44秒
総務相の高市氏が「偏向放送をしたメディアの電波を止める」と発言したことに対して、ジャーナリストから「怒り」の声が上がっている。
http://www.huffingtonpost.jp/2016/02/29/journalists-criticizes_n_9346558.html?ir=Japan
何が偏向放送かは本来国民が判断すべきものであるのに、時の政府が行うというご都合主義である。
何が偏向放送かは本来国民が判断すべきものであるのに、時の政府が行うというご都合主義である。

我々戦中派としては、このような政府による言論統制に対し、戦時中の「大本営発表」を思い出す。当時の政府も自分たちに都合の悪いことは一切放送させず、国民に真実を知らせようとしなかった。この二の舞を現政権が目指しているのかと疑いたくなるような事態である。
更には、政府の意向なのか、それを受けての放送局の自粛姿勢なのかわからないが、「辛口のコメンテーター」が一斉に降板させられる事態に至っている。テレビ朝日の古館さん、ニュース23の岸井さん、NHK「クローズアップ現代」の国谷さんなど楽しみに視聴してきた面々がこの4月から降板するという。
日本は安部ヒットラーのもと、国民にとって恐ろしい時代に入っていくように感じるのは自分だけだろうか。
田中角栄という政治家 ― 2016年02月17日 20時35分02秒
現役時代、反田中の急先鋒であった石原慎太郎が、改めて振り返ってみて、政治家として類まれな才能を評価し、一人称で田中角栄の自伝を書いた「天才」という本を読んだ。

予てから、戦後日本の政治について、いろいろ不満な点はあるが、中でももっとの残念に思っていることは、サンフランシスコ条約締結以来、日本が独立国になっていながら、未だにアメリカ政府のご指示に従って国の政策が決まっていることである。51番目の州だといういう人もあるし、アメリカの植民地ではないかという人もいる状況である。
歴代の内閣はこのアメリカ追従の政治を踏襲してきているが、田中内閣だけは、このしがらみを断とうと努力してきていた。殊に、アメリカの了承を得ないで日中友好条約を締結したこと、更には従来はアメリカの企業を通して買っていた石油を中東から独自のルートで調達しようとしたことなどである。
これらの政策追行の過程で、アメリカの逆鱗に触れ、ロッキード事件という「わな」を仕掛けられて、追放されることになったのは、日本の政治史上、大変残念でならない。もし田中角栄が健在だったら、今の政局をどう乗り切っただろうか。
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