時代遅れの臆病者 ― 2006年10月02日 21時47分30秒
この所頻繁に飲酒運転による死傷事故が発生している。「自分だけは大丈夫だ」と言う理由のない自信がハンドルを持たせるのだと思うが、この悪習はかなり根が深く、簡単には解消できないと思う。
しかし、確率的には少ないものの、車を運転している限り飲酒していなくても死傷事故を避けることは出来ない。先日も遠足中の園児の列に車が突っ込んで、いたいけな幼児が犠牲になった。
我家では子供が小さかった頃には地方勤務だったこともあって、車を運転していた。その頃から「自分が幾ら注意深く運転していても事故が起こらないと言う保証は無い」と言うこと、「事故が起これば他人を傷つけ、場合によっては死に到らしめるかも知れない」ということについて考えていた。と言うより他人の不幸と引き換えに運転することの利便性にいかほどの意味があるかを考えていたのだ。
結論として、1973年39歳の時に運転免許証の更新をギブアップして実質的に返納した。以来33年間運転はしていない。結果として運転に伴う事故は皆無だし、事故を起こすかもしれないと言う危惧からも開放されて心休まる生活している。
しかしこんな私を見て、世間では「時代遅れの臆病者」だと思っているだろうと、忸怩たるものがあるが。
しかし、確率的には少ないものの、車を運転している限り飲酒していなくても死傷事故を避けることは出来ない。先日も遠足中の園児の列に車が突っ込んで、いたいけな幼児が犠牲になった。
我家では子供が小さかった頃には地方勤務だったこともあって、車を運転していた。その頃から「自分が幾ら注意深く運転していても事故が起こらないと言う保証は無い」と言うこと、「事故が起これば他人を傷つけ、場合によっては死に到らしめるかも知れない」ということについて考えていた。と言うより他人の不幸と引き換えに運転することの利便性にいかほどの意味があるかを考えていたのだ。
結論として、1973年39歳の時に運転免許証の更新をギブアップして実質的に返納した。以来33年間運転はしていない。結果として運転に伴う事故は皆無だし、事故を起こすかもしれないと言う危惧からも開放されて心休まる生活している。
しかしこんな私を見て、世間では「時代遅れの臆病者」だと思っているだろうと、忸怩たるものがあるが。
遺言を手紙と読む輩 ― 2006年10月06日 20時31分03秒
滝川市の学校で子供が7通もの遺書を書いて「イジメ」を苦に自殺した。誰が見ても明らかな事実なのに滝川市の教育委員会は「イジメは認めえられなかった。遺書だとは認識していない。あれは単なる手紙だ。」と発表した。
私にはどうしてこのような見解になるのか、全く理解できない。この子への「イジメに対して、気がつかない振りをして」学校行政が何も対処できなかったことへの責任逃れのために、総てを隠蔽したくなったのだろうか。これを聞いて、大臣が「教育委員会の態度はおかしい」と文句をつけたら、急に豹変して「イジメ」を認めて、子供の家族に謝罪した。
現在における教育の荒廃はすっかりサラリーマン化した先生に起因していると思っていたら、その学校を統括する役目の教育委員がこのような責任逃れの行政をしているのを見ると、もう日本の教育に未来はないと考えざるを得なくなった。
私にはどうしてこのような見解になるのか、全く理解できない。この子への「イジメに対して、気がつかない振りをして」学校行政が何も対処できなかったことへの責任逃れのために、総てを隠蔽したくなったのだろうか。これを聞いて、大臣が「教育委員会の態度はおかしい」と文句をつけたら、急に豹変して「イジメ」を認めて、子供の家族に謝罪した。
現在における教育の荒廃はすっかりサラリーマン化した先生に起因していると思っていたら、その学校を統括する役目の教育委員がこのような責任逃れの行政をしているのを見ると、もう日本の教育に未来はないと考えざるを得なくなった。
北朝鮮の核実験 ― 2006年10月11日 14時07分10秒
北朝鮮がいよいよ核実験をやったと言って騒いでいるが、野次馬評論としては密かにこれは核爆弾ではなくて、普通の爆弾ではなかったかと思っている。
その一つの証拠はその規模が非常に小さいこと、更には北朝鮮が「クリーンな実験をやった。」ことを強調しすぎているように思う。放射能が外に飛び散るのを防いだといっているし、現にアメリカ当局も塵の中の放射能が検出していない。普通の爆弾だったら放射能なんか出るはず無いからね。
それともう一つ、これは数年前にテポドンか何かを打ち上げた時に、彼等は「人工衛星を飛ばした」と宣伝して、「軌道上を回っている衛星を観測した。」とうそを言っていた。つまり、人工衛星のように、誰が見てもばれるようなうそでも平気でつくような国だから、今回のように外からは見えない実験について、正直に言ってるとは思えないからである。
その一つの証拠はその規模が非常に小さいこと、更には北朝鮮が「クリーンな実験をやった。」ことを強調しすぎているように思う。放射能が外に飛び散るのを防いだといっているし、現にアメリカ当局も塵の中の放射能が検出していない。普通の爆弾だったら放射能なんか出るはず無いからね。
それともう一つ、これは数年前にテポドンか何かを打ち上げた時に、彼等は「人工衛星を飛ばした」と宣伝して、「軌道上を回っている衛星を観測した。」とうそを言っていた。つまり、人工衛星のように、誰が見てもばれるようなうそでも平気でつくような国だから、今回のように外からは見えない実験について、正直に言ってるとは思えないからである。
北朝鮮への制裁決議 ― 2006年10月24日 09時24分32秒
北朝鮮の核実験(自分は核実験ではなかったのではと思っているが)に関連して、国連で制裁決議が採択された。中国までもが賛成したと言うことには驚いたが、中国と言えどもどうにもコントロールできなくなっている査証なのだろうか。
一連の動きを見ていて、どこか心の奥で引っかかっているのは約70年前日本軍部の暴走に対して、今の北朝鮮に対すると同じように、各種の制裁決議で締め付けられ、最終的に暴発せざるを得ない事態にに追い込まれた日本の状況が重なるせいだと気がついた。
当時の日本もそうであったと思うが、北朝鮮でも指導者とその一部周辺幹部の利権と名誉のために、国民だけでなく世界中の国々が振り回されているのを考えると、もっとよい解決方法があるのではと思わざるを得ない。
一連の動きを見ていて、どこか心の奥で引っかかっているのは約70年前日本軍部の暴走に対して、今の北朝鮮に対すると同じように、各種の制裁決議で締め付けられ、最終的に暴発せざるを得ない事態にに追い込まれた日本の状況が重なるせいだと気がついた。
当時の日本もそうであったと思うが、北朝鮮でも指導者とその一部周辺幹部の利権と名誉のために、国民だけでなく世界中の国々が振り回されているのを考えると、もっとよい解決方法があるのではと思わざるを得ない。
日本ハムの優勝おめでとう ― 2006年10月28日 20時14分31秒
大方の予想に反して、日本ハムが4勝1敗で優勝した。へそ曲がりな私としては拍手喝さいしたところである。戦力からしたらどこから見ても中日の方が上だと思うが、短期決戦での勝負と言うのは勢いのあるほうが勝つのだと思う。その意味で日本ハムには新庄の引退への演出もあって、熱く燃えるものがあった。
落合さんは素晴らしい監督であったと思う。常に冷静で、感情を表に出さず、(セリーグの優勝時の涙は非常に奇異に感じたが)選手の役割と監督の役割をはっきり分けて、勝敗に対する責任は総て監督が負うのだという論理は素晴らしいやり方だと、常日頃から感心していた。
しかし今回の日ハムとの戦いが短期的なことを考えると、その感情的な冷静さが中日の選手の心に火をつけられなかったのではと感じている。星野流とは言わないまでも、落合さんももう少し感情を表に出す采配がほんとに勝つためには必要だったのではないだろうか。余計なお世話と言われるだろうが。
落合さんは素晴らしい監督であったと思う。常に冷静で、感情を表に出さず、(セリーグの優勝時の涙は非常に奇異に感じたが)選手の役割と監督の役割をはっきり分けて、勝敗に対する責任は総て監督が負うのだという論理は素晴らしいやり方だと、常日頃から感心していた。
しかし今回の日ハムとの戦いが短期的なことを考えると、その感情的な冷静さが中日の選手の心に火をつけられなかったのではと感じている。星野流とは言わないまでも、落合さんももう少し感情を表に出す采配がほんとに勝つためには必要だったのではないだろうか。余計なお世話と言われるだろうが。
学校の授業と受験勉強 ― 2006年10月31日 17時02分04秒
この所連日のニュースで多くの高校で受験のための授業をやるのに履修が義務付けられている必修科目すら授業が行われていないことが問題になっている。尚悪いのは授業を受けていないのに、さも受けたように粉飾して、成績をつけていたことである。
自分が大学の入試を受けたのはもう50年以上昔のことなので、状況は大きく変わっているとは思うが、その当時を思い出して、当時自分が強く心に刻んでいたのは「今追いまくられている受験勉強は自分の人生にとって本来の勉強ではなくて、選別のための競争であって、必要悪である。」と認識し、「自分が本来やらなければならない、又はやらなければならない勉強は他にあり、それをこそ力一杯やるんだ。」とそんな思いだった。
その時の自分の思いからすると、今問題になっているような現象は「受験そのものが教育の目的化」してしまっていて、授業そのものが受験する大学の入試科目とリンクしているとしたら、ものすごく偏った、ウスペラな知識の集積に過ぎないのではないだろうか。
勤めていた会社で見た光景、つまり受験技術だけで有名大学に入ったと思われる人が職場では殆ど役に立たないどころか、人生観そのものが大きく歪んでいるのを見せつけられるにつけ、現状の受験戦争の恐ろしさと、日本の将来に対する不安を感じざるを得ない。
自分が大学の入試を受けたのはもう50年以上昔のことなので、状況は大きく変わっているとは思うが、その当時を思い出して、当時自分が強く心に刻んでいたのは「今追いまくられている受験勉強は自分の人生にとって本来の勉強ではなくて、選別のための競争であって、必要悪である。」と認識し、「自分が本来やらなければならない、又はやらなければならない勉強は他にあり、それをこそ力一杯やるんだ。」とそんな思いだった。
その時の自分の思いからすると、今問題になっているような現象は「受験そのものが教育の目的化」してしまっていて、授業そのものが受験する大学の入試科目とリンクしているとしたら、ものすごく偏った、ウスペラな知識の集積に過ぎないのではないだろうか。
勤めていた会社で見た光景、つまり受験技術だけで有名大学に入ったと思われる人が職場では殆ど役に立たないどころか、人生観そのものが大きく歪んでいるのを見せつけられるにつけ、現状の受験戦争の恐ろしさと、日本の将来に対する不安を感じざるを得ない。

最近のコメント