老齢不明者の捜索2010年09月01日 11時24分29秒

 最近、戸籍だけは残っているものの行方不明の老人が多数出てきているという。基本的には役所の怠慢かも知れないが、家族間の絆の希薄さも大きく関係しているように思う。

 現在役所では不明者の老人を探すのに、保険を使った形跡のない人を一つのターゲットにしているという。老人なんだから、普通に生きていれば、年に何回かは医者に行って、診察を受けるのが自然なことであると判断しているからであろう。

 はたと、自分のことを考えてみると、うかつにも、ここ1年半ほどどの病院にもかかっていないことが分かった。この調子でいくと、ある日役所の人が調査に来て、「この人は在宅ですか」と聞かれそうである。

 そのような手間をかけさせないためにも、年に一度ぐらいはお医者に行かなければと思っているこの頃である。


平沼・与謝野新党2010年04月06日 13時25分55秒

 与謝野さんが自民党を離党して、平沼さんと新党を立ち上げると言う。現状の自民党では国民の支持が得られないために、新しい顔を作ろうということらしい。

 確かに、現在の自民党に愛想をつかすというのは分かるが、「自分たちは自民党ではないよ」と言ったところで、政策はまだ出てきていないので分からないが、所詮は同じ穴のむじなであり、あまり変わり映えしないように思う。

 今の時期に、急いで新党を立ち上げたということは、次の参議院選挙を目指してのことと思うが、民主党にも自民党にも失望した有権者の受け皿としての役割は果たせそうにないと思うのは自分だけだろうか。

 或いは、自民党が野党になったことによる混乱の表れで、このような分裂はしばらく続くのだろうか。


身辺の整理2009年07月26日 16時45分24秒

横浜動物園のオカピです。
 昨年辺りから、そろそろ身辺の整理をしなければと思い立ち、少しづつ始めているが、中々整理がつかなくて困っている。
  1)各種の書物
  2)各種書類と手紙類   
  3)パソコン関連機器
  4)パソコンソフト類
  5)映像・音楽機器  
  6)映画・音楽のCDとDVD
  7)ゴルフ道具類
  8)その他

 今は、気の付いたところから始めているのが実情であるが、捨てるものと残すものの判断基準が決まらなくて、気がついたらあちらの山をこちらに移しただけというような状況が続いていた。

 ある時、このまま自分がいなくなったら、残されたものがこれらをどう整理するだろうかと考えた時に、重要なヒントを得た。つまり、ほとんどのものは自分がいなくなったら役に立たないものであることから、これを基準に捨てていったら、大幅に整理が出来ることが分かった。

 今年中を目標に、この基準ですべての整理を進めたいと思っている。

老後の安心2009年04月02日 21時07分40秒

フラワーセンターでは木蓮の花が咲いていました。
 日本人の貯蓄額は老人を中心に千数百兆円もあるという。この莫大な金を消費市場に流す手段として、生前の譲渡に付随する税金を安くしようという案が検討されていると言う。

 自分もそうであるが、一般的に老齢化を迎えた日本人の多くは、現役時代には老後の安心のために「爪に火を灯すような思いで、少しづつ溜め込んできた」ものである。

 もう数日で後期高齢者になると言う現在でも、老夫婦でどちらかが動けなくなってきた時に介護の費用が掛かるだろうとか、老人ホームに入るのにどれ位掛かるだろうとか、色々考えてくると、老後だからと言って、貯めてある貯金をどんどん使って行こうとしたり、子供たちに譲渡しようという気にはならない。

 先日テレビで見たスエーデンの福祉制度では、老後の生活は完全に国が面倒を見ることになっており、安心して歳を取っていける環境が整っているようであり、若い夫婦に「あなたは今貯金していますか?」という問いに対して、「全く貯金はしていません。貯金がなくても老後に心配がありませんので。」と答えていました。

 勿論スエーデンの場合は所得に対する税金の比率が高く、各種の高度な福祉制度が実現できるバックグラウンドが出来ていることは事実であるが、日本政府が国民が貯め込んだ貯金を吐き出すような政策を講ずるより先に、国民の老後に対する安心を確保することの方が大事であろうと考えるが如何だろうか。

歯の治療2009年01月11日 20時30分30秒

安房鴨川での日の出
 昨年12月右上の臼歯に違和感を覚えたので歯医者に出かけた。虫歯の痛さでもなく、歯肉炎でもない、何かを食べた時にその歯にものすごく沁みるのが気になったのである。

 こちらも適確にどの歯がどう痛いかについて指摘できず、医者の判断でも問題点が発見できず、結局もう3年も前に抜いた歯の入れ歯を作る羽目になった。

 今年に入って、家族で二泊三日の小旅行を計画し出かけた。出先で何となくホッペが腫れて来る感じで、日に日に大きくなっていくと同時に、痛みだ出てきた。困ったことになったとは思ったが、何しろ出先だったのでどうすることも出来なかった。

 帰ってきて、緊急でお願いして診察をしてもらった。そうしたら問題の臼歯が縦に真っ二つに割れていることを見つけていただいた。どうやらこの割れ目から黴菌が入って、化膿したようである。

 歯の治療の常識として、腫れのある時は歯を抜いてはいけないのそうである。つまり、麻酔が効きにくいことによるとのことである。しかし、今回の場合ではとにかくこの割れた歯を抜かない限り、化膿が治まらず、従って腫れが引かないことになる。

 何度も何度も麻酔の注射をして、痛い思いをして、ようやく歯を抜くことが出来た。ホッペの腫れよりも、この無理矢理抜いた歯の後の方が激痛の原因になるという。痛み止めと化膿止めの薬を処方してもらって帰った。

 結果的にはその夜は痛みもなく、ホッペの腫れも引いてきて、ようやく安堵することが出来た。歳を取ると、歯がもろくなって、このように縦に割れるケースがあるということである。老いを強く感じた日であった。

老いを感じるこの頃2008年07月28日 19時17分58秒

町田の「ダリヤ園」で
 先週はシニアクラブで町田の[ダリヤ園]に連れて行ってもらった。暑さの最中でもあって、訪問者は少なく、いろんな種類のダリヤを心行くまで堪能さしてもらった。

ダリヤはメキシコの原産で、メキシコの国花にもなっていて、31歳で赴任した時、公園だけでなく道端にも沢山のダリヤが咲いていたのを懐かしく思い出した。

しかしながら、さすがに老いの身にはこの暑さがかなりこたえたらしく、帰り道は足が重くなった。

 そう言えば3年前に、このブログで「バスに乗って、初めて席を譲られたことで戸惑った」と書いているが、この4月ごろから急にバスや電車で席を譲られる機会が増えたように感じている。自分としてはあまり変わっていない積りではあるが、やはり外から見ると、かなり草臥れて見えるのかもしれない。心していきたい。

横笛教室の卒業2007年08月03日 11時15分19秒

 97年2月から始めた横笛も今年で10年を経たことになる。先月28日にあった発表会を機会に卒業さしてもらうことにした。老いと共にこのように一つづつ整理していかなければならないのは辛いけれど、これも人生の道筋だと理解している。
 退職者仲間での会話で「いい趣味をお持ちで!」と言われるが、戦中育ちの自分としては「音楽」は一番苦手な領域であり、出来たら避けて通りたい思いではあったが、子供の頃に村祭りで笛を吹いたと言うかすかな思い出が好奇心となって、10年間続けることが出来た。
 次の教室での課題をターゲットに毎日吹いてきた習慣がここで途切れることになったが、それでも横笛を吹くことは好きであり、一寸時間が出来ると笛を手に持って、童謡や唱歌を吹いている時は或いは至福のときであるのかも知れない。  ご指導いただいた先生方、お互いに励ましあってやってきた同僚の皆さん、色々お世話になりました。私にとりまして、素晴らしい10年であったと思います。

デジタルテレビ2007年01月29日 11時42分25秒

 自分の部屋にあるテレビは一昨年既に地上波デジタルの液晶に替わっていたが、居間で主に家内が見ているテレビがブラウン管式のアナログ受信だったのを、本日ようやくデジタル化することが出来た。
 インターネットでデジタルHDDVDレコーダーの安売りを見つけて買い込み、そのビデオ出力を上記のテレビに入れて映す事にしたのである。
 これで我が家のデジタル化作戦は完了したので、自分がいつ居なくなっても家内は安心してテレビが見られる状況になった。

老化の進行2006年12月31日 20時34分47秒

 この一年加速度的に老化が進んでいる。殊に二つの面で顕著である。一つは股関節の硬化により、体全体の動きが難くなって来ていることである。体重はここ十年以上75キロで変わっていないが、身体が弱って来ている分、減量が必要になっているようである。来年はさらなる減量に挑戦したい。
二つ目は記憶力の減退である。記憶力と言う範疇なのかも分からないが、これまで特に意識しなくても出て来ていた身近な人の名前や言葉がフッと出て来なくなるのはほんとに悲しい。悲しいと言うより、「ほんとなの?」と言う感じである。
 最近世の中で騒がれている「脳を鍛える」類いの本を買い込んでは読んでいるが、急にどうなるものではない。今多少熱中しているのが「数独」とか「ナンプレ」と言われているパズルへの挑戦である。しかし、これは記憶力の訓練と言うよりは思考力を鍛える問題なので、どれほど効果があるかは疑問である。
 必死になってこの「老いの進行」を遅らせる努力をしながらも、結局の所はこの「老い」を認め、付き合っていくしかないのかも知れない。来年はもっと気楽に暮らしていこうと思う。

久しぶりの墓参り2006年05月27日 21時03分02秒

 歌枕「生野の郷」と言うのが親父の故郷である。百人一首の「大江山 生野の道は 遠けれど まだ文も見ず 天橋立」に出てくる「生野」である。山陰線の福知山からバスで約30分ぐらい、山伝いに引き返した所である。実はそこに先祖伝来のお墓がある。子供の頃は京都に住んでいたので、年に何回かはお参りしていたが、横浜に住み始めてからは余程の法事でもない限り、足が遠くなっている。
 先週、ほんとに久しぶりにお参りに行った。先ず最初の戸惑ったのはバスの停留所が以前と変わっており、目印の郵便局がどうやら移転したらしくて、心覚えの所になくなっていたことである。それでも記憶をたどって、それらしい方向に向かったが、途中に猪よけの金網があって、通れない。近所の人に聞いたら昼間は電圧が掛かっていないので、その扉を開けて入ってもいいよと言うことで、ようやく目指すお墓に到着した。冷や汗をかいた。
 大急ぎで掃除をして、お花とお線香を上げて、菩提寺に引き上げた。最初に菩提寺に行っていればこのような齟齬は起こらなかったと思うが、お寺の都合で時間的に後になったのが運のつきであった。
 後数年で自分もこのお墓に入らなければならないと言うのに、自分のお墓も分からなくなってしまっていたと言うのはほんとに情けなく、と同時に何百年か続いたご先祖様に大変申し訳ない思いで一杯であった。