日大アメフト部員の悪質タックル2018年05月27日 15時25分01秒


 日大アメフトのディフェンス部員が 関学大の部員に違法なタックルをして、負傷させたことが問題となり、世間を騒がせているが、この違法行為よりも、この違法行為をだれが指示をしたかでもめている。


 違法な行為を実行した選手サイドは、単独で記者会見をして、監督やコーチからの指示があったことを理路整然と述べたのに対して、監督コーチ側は「そのような指示はしていない」と反論し、話は平行線をたどっているが、会見を見た感想からは、どう見ても選手サイドに理がるように感じられる。

 当該選手は「たとえ監督からの指示があった」とはいえ、このような違法行為をしてしまったことに対して、後悔の念が強く、今後はアメフト競技には戻らないと発言しており、彼の人生設計を大きく狂わしてしまったことになる。

 これからのお話は仮定の問題である。彼は違法行為を実行した後で「やらなければよかった」と後悔したようであるが、彼のような誠実な人柄だったら、たとえ監督から指示があっても「私にはそのような不法行為は出来ません。」と断れなかったのだろか。もちろんそうすれば、一層不遇な目にあうだろうし、場合によってはチームを追われることになったかも知れない。

 ここまで考えてくると、このような判断の岐路はスポーツの世界だけに限ったことではないように思う。政治の世界でも、今や沢山の官僚たちが「これは悪いことだ」と分かりながら、その世界に手を染めており、我々会社員にとっても、理不尽な上司の命令に従わなければならないケースは多々遭遇するところである。

 そのような場合に、自分の出世のために、その毒を飲み干すか、自分の将来を捨てても、正義を貫くかは、その人の人生観そのものである。
「あるものを、ない」と言って、出世していく官僚を見ていると、浅ましさを通り越して、悲しさを覚えるのは自分だけだろうか。