安全の値段2012年05月06日 11時35分48秒

 関越道で金沢を出たバスが沿道の防音壁に激突してバスが大破し、7人が亡くなり、多数の負傷者が出ました。その原因としてバス会社の過当競争による運送価格の低下が、運転者の勤務実態が課題であったと報道されている。

 テレビ報道によると、金沢から東京まで飛行機だと約2万円、新幹線だと約1万円で、このバス会社の運賃は3,500円だったと伝えられている。
過当競争とはいえ、確かに安い運賃である。

 我々これ等交通機関を利用する立場の人間として、安ければ安いほどいいのだろうか。スーパーで野菜を買うのでも、国産のものの隣に、その半値位の値段で売られている中国製のものが並んでいる。我が家では多少高くても国産のものを求めてくるようである。ある種の安全の値段だと考えられるからである。

 同じように、今回のようなバスの運行についても、この様な安い運賃のバスを選択した乗客の方にも大きな責任があるように思う。つまり、安全にも値段があることを十分認識すべきである。


欧州の金融危機2012年05月08日 09時14分48秒

 フランスの大統領がオランド氏に変わったことで、収まりかけていた欧州の金融危機が再燃する気配である。ギリシャでも財政再建を進めていた政権が後退して、さらに深刻な状況が進むと言う。

 当たり前のことではあるが、強い国の通貨は強くなり、弱い国の通貨は弱くなることでバランスが取れていくはずなのだが、ユーロのように強い国も弱い国も共 通の通貨と言うことなると、このバランスが崩れて、経済的に弱い国が痛んでくるのは当然の帰結である。逆に強いドイツなどはこの所のユーロの下落によって 輸出が伸び、膨大な利益を得てきていると言う。

 元々、国情も国勢も国力も違う各種の国が同一通貨で運営することには大きな問題があったし、現実に弱い国が次々と財政破たんに追い込まれて苦境に立っており、ドイツ、フランスを中心にこれらの立て直しに注力してきたが、その動きに反対する勢力が台頭してきたことで、支えきれなくなっていくのではと懸念している。

 従って、ドイツやフランスなど強い国は弱い国に対して単に金融面でだけの支援ではなしに、経済全般の支援が必要不可欠ではないかと思案する。

 

 


ユーロからの脱却2012年05月11日 15時30分57秒

 ギリシャの総選挙で新しい勢力分野が決まったが、どの勢力も過半数を得られないどころか、過半数が得られるような連立も不可能であることが明確になってきている。憲法の規定で再選挙になるようであるが、いずれにしても欧州連合本部からの厳しい財政改革に反対する勢力が大きな勢力を占めそうで、ユーロ圏からの脱落が噂されている。

 もしギリシャがユーロ圏から脱落するとすると、経済的に弱い国が次々と同じ轍を踏むことになり、大混乱を招くことになると思われる。

 しかし、この前のブログ「欧州の危機」でも述べたように、資本主義社会では弱い経済の国の通貨は弱くなり、強い国の通貨は強くなることで、各国の経済的にバランスがとれて、win winの関係になるのに、今の欧州では強い国も弱い国も同じユーロを使いことで、この種のバランスが取れなくなっているのではと考えられる。

 つまり、ドイツのユーロは1ユーロ150円でも競争できるかわりに、例えばイタリアでは1ユーロが80円であれば経済的に競争力がつくとしたら、それぞれの国はそれぞれの通貨に戻さざるを得ないのではと推察する。

 元々、経済力の全く違う国が同じ通貨を使うこと自体が大きな矛盾をはらんでいたと言うことになる。


検察審査会2012年05月14日 10時12分41秒

 小沢さんは検察審査会で地検に提訴されたが、先日無罪の判決が下りた。しかし、担当した指定弁護士がこれを不服として、控訴したことでこの裁判は長引くこととなった。

 自分の個人的な見解としては小沢さんは今の代議士、とりわけ民主党議員の中では突出して国を動かせる大きな人物だと認識しており、この様な末梢の事柄で起訴され、裁判が長引くことは我国のかじ取りにとってマイナス要因だと捉えている。

 しかし、元々検察審査会そのものが専門の審査官等が(法律上の見解として)不起訴にした事柄を、国民目線で見て「少しおかしいのでは?」との見方で起訴する制度であり、その意味では極めて常識的な主張であると思っている。

 その意味で、今回の裁判を見てみると、政治団体の収支報告書への記載が法律に違反しており、その罪として三人の秘書が有罪を受けている。小沢さんの場合はその記載違反を知っていたかどうかが争われ、「知っていたという証拠がない」と言う理由で無罪になっているだけで、法律的には兎も角、常識的には4億もの金を動かすのに、親方が知らなかったと言うのは到底考えられないという国民目線で見た起訴であり、又今回の控訴であると判断している。

 検察審査会と言う国民目線で告訴する制度があることは素晴らしいことであるが、その裁判があくまで通常の法律によって裁かれると言うのは、元々の検察審査会の趣旨と違っていかざるを得ないのは趣旨からして矛盾しているように思う。。


検察審査会考2012年05月17日 16時33分18秒

 先にブログでも触れたように、検察審査会が起訴すると言うことは、あくまで国民目線で判断して、司法の場での論議とは違った観点でその問題点を解き明かしてほしいと言う意図だと考えている。

 例えば、福知山線の脱線事故で100人を超える人が亡くなったが、この事故についてJR西日本のトップの責任があるはずだとして検察審査会が強制起訴をしたが、結果として無罪の判決が出た。

 しかし、庶民感覚としては通勤ラッシュの中で1分も遅延を認めないと言うか、処罰の対象としているような管理体制だったら、運転手は少しでも時間を挽回しようとして、無理な運転になるように思う。

 これを例えば、時間は遅れてもいいよ。安全第一で運転して下さい。と指示されていれば、決してこのような事故は起こらなかったと確信する。現に(この横浜では)バスの運転では信号が黄色に変わったら、決して交差点には入らないし、(道交法上当たり前であるが)乗降客が多くて、バスが遅れていても、決して無理な運転はしない。おそらくこのようにトップから指示されているのだと思う。

 トップの「安全第一」の思想があれば、福知山線のような事故は決して起こらなかったとすると、トップの裁判が無罪になったと言うのは何とも腑に落ちない気持ちである。


原発の再稼働2012年05月20日 14時22分14秒

 国内にある全原発50基すべてが停止すると言う事態に直面し、政府としては当面の電力事情に鑑みて、関西電力の大飯原発3,4号機の再稼働を突破口に原発再稼働に動いている。

 原発の再稼働に当り、その判断になる事項を考えると、まず第一にその安全性である。原発再稼働反対の人たちが一番注目している点でもあるが、純粋に安全だけを考えると、原発が動いていても止まっていても、それほど大きな違いなく、核反応が停まっていても核物質の中では核分裂が進んでおり、冷却が十分でないと、暴走してメルトダウンを起こすことは、福島の1~3号機で経験している通りである。

 第二番目に言われている理由は「この夏の猛暑に対して、電力が足りなくなる」ことのリスクである。しかし、放射能が降り注ぐことの危険性から考えたら、節電による不便の方が耐えやすいのではと思う。何れも再稼働に対する必然性はあまり感じられない。

 第3番目と言うか、今後の日本の電力政策を脱原発の方向に舵を切るのかどうかという意味で、この大飯原発を動かすかどうかの岐路に立たされているように思う。ここで動かしたら、ズルズルと次から次へと稼働が続いて、元の木阿弥なってしまうように思う。ここは何が何でも再稼働を阻止して、我国の電療は原発には頼らないのだと言う強い方針を取るべきと考える。


橋下市長の言動2012年05月25日 12時57分01秒

 現在の国会議員がひ弱で、日本をどう動かすと言うような目標よりは、次の選挙にどう当選するかというような目標で動いているような頼りない印象であるのに対し、対照的に大阪の橋下市長の歯切れのいい立ち居振る舞いに喝さいを送りたくなるのは私だけだろうか。

 橋下氏はご承知のように、元々は弁護士であり、つい数年前まではお笑い(?)番組で人気が出て、その知名度を使って、大阪知事選に勝利したことから政治の世界に飛び込んだと理解している。つまり本人の潜在的な意識は兎も角として、、政治家としては素人であり、政治と言う暗闇の世界を一日一日経験し、勉強して進んでこられているはずだと思う。

 しかし、橋下さんのこの爽快さと言うのか、切れ味をどう捉えたらいいのだろうか。基本的にはご本人はご自分の実力をしっかりと把握して、政策については堺屋さんを始めとする信頼できる、しっかりとしたブレーンを備え、準備して臨んでいることがぶれない方針を維持できている理由だと思っている。

 因みに、現在までの政権が低迷している理由の一つとして、自分たちのブレーンを官僚に頼っていることの帰結であるように思う。頻繁に交代する政権に対し、変わらない官僚が自分たちの論理で政権を動かしていいるのは、ある意味当然の帰結であり、これを変えていくためには(非常に難しいでしょうが)この官僚を総入れ替えして、やっていくしかないように思う。

 それにしても橋下さんを見ていて感心するのは、記者会見でも何でも原稿を見ないで、常に自分の言葉で語っていることである。普通の人がこれだけしゃべると必ずぼろが出るのだと思うのですが、その都度修正しながらキチット自分の考えを述べていることが信頼を得ている理由だろうと感じるが如何だろうか。


過剰診療2012年05月28日 14時22分20秒

 政府支出が年々増加しているが、その大部分が医療費の増加であるという。その理由として、これも年々進む老齢化に伴う医療費の増加だそうである。それは真実かも知れない。

 しかし、現実の医療現場を見てみると、随所に過剰診療と思われるような行為がある。例えば、病院や診療所にチェックインするとまず尿検査から病院によっては血液検査がある。来場者の病状の如何にかかわらず、この様な検査が必要なのだろうか。このような入り口での検査だけでなく、病状によっては各種検査があり、必要かどうかわからないが、CTやMRIやPetCT等高度な医療検査に回されることになる。

 検査だけではなく、治療でもほんとに必要な治療だけが行われているのか。癌らしいとなったら何でも手術をするとか、高価な薬品を使うとか、現にちょっと風邪を引いただけだと思われるのになん種類もの薬が処方されるようで、引出しを開ければ、飲まなかった薬がいっぱい出てくるのが実情である。

 更に、一番問題だと思うのは末期医療で、どう考えても元気になって元の生活に戻れる可能性がないどころか、寝たきりで、場合によっては意識もなく、生きているだけというような状況でも、機械で呼吸を送り、血液を循環させ、食べ物を穴をあけた胃に注入しながら生かしていると言うのはもはや治療行為と言えるのだろうか。「もう止めて下さい」とお願いしても、医者は1分1秒でも長生きさせるのが務めだと言って譲らないと言う。こんな行為は本人はおろか、その家族にとっても何の益もなく、単に病院の売り上げを上げる手段に過ぎないと思うが如何だろうか。

 やってもいない検査や治療の代金を保険組合に不正請求すると言うような法に反する行為は論外としても、必要もない治療行為が金に変わっている事実は無視できない。このような状況でいくら税金を投入しても、足りなくなるのは自明である。


子供の教育2012年05月29日 15時59分04秒

 バスを利用していてとても気になることがある。背丈からすると、小学生であるように思うが、制服を着ていて、どこか有名私立の学校に通っているようである。
 

 バスに乗り込んできて、空いていた優先席に座り込むと、教科書らしきものを取り出して読み始めた。その内、車内は混んできて立ってる人が目立ち始めたころ、杖をついたお年寄りが乗り込んできて、優先席の彼女の前に立ったから、当然その子は席を譲るのだと思っていたが、そんな気配は全くなく、その席に座り続けていた。

 幾多の競争に勝って、高度な教育をするエリート校に通っており、知識は豊富かも知れないが、周りに気を配り、お年寄りをいたわる気持ちがなくて、一体どのような大人に育つのだろうかと心配になってきた。

 子供の教育は知識よりも先に徳育を教え、この世の中で共生していくことが出来なくて、どうして社会生活ができのだろうか。