政党について2010年08月02日 09時17分36秒

 民主党が今回の参議院選挙で敗北したことにより、与野党勢力が衆参で逆転現象となり、議会運営に大きな支障をきたしそうだという。

 所で、政党というのはいったいどのようなものだろうか。広辞苑によると「政党とは共通の原理・政策を持ち、一定の政治理念実現のために政治権力への参与を目的に結ばれた団体」ということである。しかし今の民主党を見ていると、ほんとにこのような定義による政党の態をなしているのだろうか。小沢さんを中心としたグループと、菅さんや枝野さんのグループのどこに共通の政治理念があるのか、同じ目的を持っているのか、よく分からない。

 確かに、民主主義の世界では多数決で決めるのが原則であるので、議員の数を集めないと、自分たちがやろうとしている政策を実現できないという基本論はあるとしても、連立内閣を含めて、政策の違う人たちが、単に「数が必要」というだけで集まっても、有効な政策が実現できないか、ワンマンによる独裁的な政治を後押しするだけではないだろうか。

 政党が共通した政治理念を持った人たちの集団だとしても、個々の政策に対しては個人個人で考えは違っているだろうし、「死刑の廃止問題」のように、どうしても譲れない課題も持っていると思われる。

 そこで出てくる不可思議な制度として「党議拘束」というのがある。個人としてはどうかと思っているような政策に対しても、党に属しているということから賛成しなければならないというのは一種の欺瞞ではないだろうか。党議拘束を離れて、個々人の判断で賛否が表明できたら、衆参のネジレ現象など問題とはならず、要は沢山の人たちに賛成してもらえるいい政策が出せるかにかかっており、それこそ張りつめたいい政治ができるのではなかろうか。


高齢者の行方不明2010年08月10日 22時14分25秒

 30年ほど前に亡くなっていた老人について死亡の手続きをせず、年金を受け取っていたという事件を発端にして、全国的に調査したら、全国的に行方不明の老人が多数見つかっているという。

 調査のために役所の人が住民票に従って訪問すると、何年も前からいないというような返事があるという。もちろんベースには家族の絆が希薄になっていることがあるとは思うが、親を介護する子も歳を取ってきており、親より先に亡くなることもありうると思う中で、家族の問題としてだけで捉えることは難しいのではと思う。

 やはり、老人を含めた弱者は社会が支える体制を整える必要があるのではなかろうか。殊に、役所の怠慢は目に余るものがある。先に年金保険機構の怠慢で沢山の国民が年金がもらえない事態は未だに解決していないが、今回の役所による住民の所在が把握できていない問題も、上から言われないと何もやらない役人の悪しき慣習が定着している査証ではなかろうか。

 役所の中で「これ問題だよ」という声を上げる人はいないのだろうか。


新聞の投書欄2010年08月15日 11時28分02秒

 新聞を読むとき、投書欄には特別の興味を持っている。書かれている投書内容には賛同できるものも、できないものもあるが、一般の新聞記事と違って、書かれた人の意思というか、思いが感じられるからである。

 実際に投書された数は紙面に出されたものの何倍もあるだろうから、これで民衆の意見を代表しているとは言えないが、ともかく、そこに生身の気持ちが感じられるというのは血が通っていて素晴らしいことと思う。

 実は、この「野次馬評論」もできるだけ世情に流されず、自分の気持ちを感じていただければとの思いで書き続けている。

 読んでいただいた方で何がしかを感じていただけたら、感想なりコメントなりをお寄せいただけると嬉しい限りである。


小沢氏の党首選に出馬2010年08月27日 21時34分40秒

 9月に行われる民主党の党首選挙に小沢氏が突如出馬を表明した。つい3か月目前に自らの金と政治の問題で幹事長を辞した彼が名乗りを上げたことについて、一般には民意を反映しない暴挙であると論評されており、私自身としても「何を血迷ったか」と感じた次第である。

 しかし、予想もしない暴挙であると感じながらも、気持ちの奥底でこの暴挙を否定できない自分がいることに気が付いた。小沢氏の党首を肯定しているのではない。対抗馬の菅氏の政治姿勢にどうにも納得できないからである。

 自分として何としても納得できないのは、あれだけ政治主導を標榜していながら、このところの動きからすると、完全に従来の官僚の支配に屈してしまったような印象を受けることであり、これでは政権交代を熱望した民意を完全に損なうことになってしまっている。

 その点小沢氏は昨年の衆議院選挙の時に公約したマニフェストに立ち返るのだと主張しており、その主眼である政治主導の実現に改めて取り組んでくれるのなら、誰であろうと自分としては賛成していきたい。